みなさんにお知らせ!
昨日まであんなたのしいコンサートを見てきた次の日にこんなこと言うのかよって感じだけど、皆さんに報告。
わたしは神山担を降ります。
もうね、ここ最近とかじゃなくて遡るともう3年とかそれくらい前から、ずっとずっと悩んでた。悩んでは引き戻され悩んでは引き戻されをずっとずっと繰り返してた。けど、自分が変わる勇気を振り絞って、ちょっと行動に移したら、かみちゃんを見てる自分はこんなにも視界が狭くて、余裕がなかったんだなって思った。こんなお荷物なファンよりも、もっと素敵な感性でフランクに見てる人はたくさんいると思うから、わたしはもういいかなぁ、と。
あとは、かみちゃんが丸くなりすぎてギラギラしたあのかみちゃんじゃなくなって、刺激がなくなった。気がする。丸くなるのはとってもいいことだけど、わたしはやっぱり昔のかみちゃんが大好きだった。いつも並べてしまう。昔はこうじゃなかったなとか、昔のかみちゃんはこう言っただろうな、とか。そういうのは、もうかみちゃんには必要ないし、重すぎると思う。
5年10ヶ月。すっごいあっという間だった。おたくしてきてていっっっっっっっっちばん幸せだった。最高の担当だったよ。本当にありがとう。
たくさん幸せもらったよ!たくさん思い出もらったよ!たくさん辛い思いもしたよ!でもそのぶんたくさん嬉しいがあったよ!ダンス大好きだったよ!歌も好きだったよ!本番中に失敗した時その場で反省会するのみんな心配になるからやめようね!MCもっと話してね!みんな話してほしいと思ってるよ!アカンLOVEの全力なフリ楽しくて好きだったよ!アツ苦しいくらいアツいところ好きだったよ!デビューしてくれてありがとう!ドームの景色見せてくれてありがとう!今まで好きでいさせてくれてありがとう!うわ!こんなこと書いてたらイヤホンからシルエット流れてきた!泣いてる!(笑)泣いてるけどでも!前に進むよ!本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当にありがとう!ありがとうじゃ足りないくらいありがとう!大好きだった!本当に大好きだった!降りるなんて思わなかった!こんな日が来るなんて思わなかった!本当に大好きだった!ね!ありがとう!これからはたくさんのファンの子のこと、幸せにしてあげてね!降りてなおおこがましいけど見守ってるね!かみちゃーーーーーん!本当に本当にありがとう!!!!!!!!!さようなら!!!!!!またね!!!!!!!!!!
2016.1.30
無敵の7人さぁ行こうか
「ジャニーズWEST 1st ドームLIVE 〜24から感謝届けます〜」に行ってきた。
始まる前は友達とキャッキャッしてまるでコンサート感の無い時間を過ごして、イオンで回るけど安くない回転寿司なんか行っちゃって、高いからビビって丼にしたのに結局色々頼んじゃったりなんかして、ふざけにふざけて席についた。そのときの私は、ただのコンサートに来たという感覚だった。オープニング映像もなんならええじゃないかも、とりわけいつもと変わらないと思ってた。ただ、わたしの中で何かが変わったのは、はまちゃんの一言。
「俺たちの夢へようこそ」
この一言。ここではたと気付く。「もしかして、わたし、すごい場所にいる?」そこからは堰を切ったように涙がとめどなく流れた。
俺たちの夢。だけど、わたしの夢でもあったドーム。いつか神ちゃんに連れてきてもらいたいと思っていた場所。そこにわたしはいる。夢が叶ったんだ。そう思うともう、止められるはずもなく泣きながらズンドコ踊る。涙で前が見えない。けど、楽しい。心の底から楽しい。きっと、あんなに大きな会場でのびのびと歌い踊る神ちゃんを、うえすとさん達を、この目で見られて、とっても嬉しかったから。まだ、松竹座に通っていた頃、早く大きな会場で踊る神ちゃんを見たいと何度も思った。大阪城ホールじゃ物足りない。もっと大きいところで、力一杯、多少立ち位置がずれたって誰にもぶつかることのない、そんな広い、広い会場で、歌い踊る神ちゃんをみたかった。
これは、わたしの思い過ごしかもしれないけど、神ちゃんがね、いつもよりも何倍も何倍も楽しそうに踊ってた気がした。楽しそうというより、楽しさが、嬉しさが溢れ出してる、そんな感じ。こんな神ちゃん、久しぶりに見たな〜ってそれもまた嬉しかった。SCARSからのダンスメドレーは正直、体力の限界への挑戦っぽい感じあった。けど、それすら楽しそうに、のびのびと踊ってた。もちろん、ちょっと暗転した時とか、止まってる時とかはものすごく苦しそうに肩で息してたけど、でも、それでも、瞬間瞬間を楽しんでるような気がした。
ジュニア時代コーナーは、たくさんの映像を懐かしく思って、辛かったことも、楽しかったことも、悔しかったことも、嬉しかったことも、何もかも、走馬灯のように思い出させた。思い出して楽しい思い出もたくさんあるけど、そのぶん悲しくなる思い出だってある。いいとこばかりじゃなかった。それでもいつも、キラキラ笑って、ここまで来てくれた。ここまで連れて来てくれた。
過去を振り返るとたくさんたくさん思いが溢れる。仕事が決まって飛んで喜んだ日も、どうしてこうなるのかなって悩んだ日も、忘れられない誕生日のお祝いも、もう全て終わりだと思ったあの日も、仲間との悲しい別れも。過去が押し寄せてくる。でも、その過去があるから今があって、その過去があるから、今がより一層輝いてるんだなって思った。そりゃね、できれば誰もかけることなくこの景色をみんなで見たかったと、こんな楽しい時間をくれてるのに本当に申し訳ないけどちょっと思った。でもきっと、思いは伝わってるはず。そう思う。
ネクステからのシルエット。
デビュー前に歌うネクステもかっこよくて好きだったけど、今歌うネクステはとても強かった。
「奇跡なんかいらない この手で掴み取るだけさ」
きちんと夢を、掴み取った7人だから、強く感じるんだよねきっと。衣装もそれまで自分たちのジュニアの時の衣装を着てたけどネクステではお揃いのキミコイ衣装に着替えて、ジュニアからネクストステージに変わったって言うのが見てもわかって、さらに強さを出させてる気がした。シルエットはね〜。ダメだね。思い出が多すぎる。「大切なことは君がいること」これにつきるよね?それ以上も以下もないよね?
かみちゃんが居てくれたから、わたしはあんな最高の景色を見れた。かみちゃんがここまで、頑張ってくれたから、わたしの夢も叶えられた。本当に本当にありがとう。心から思うよ。
挨拶でかみちゃんは「みんなと見たい景色はもっとある」って言ってた。わたしもかみちゃんと、うえすとさんと、見たい景色がもっともっとある。まだ、ドームは日本にたくさんあるしね?スタジアムだってあるしね?あの日約束したてっぺんだったまだまだ麓にようやく着たかなって感じだしね?だから、そう言う風にかみちゃんも、うえすとさんも思ってくれてることが嬉しかった。
あと、みんな口々に、「そばにいるよ」って言ってくれてたのがとても嬉しかった。そりゃこれから先、物理的距離はどんどん開いちゃうと思う。これは仕方ない。だっててっぺん取るんだもんね?だから、仕方ない。だけど、心の距離まで置いていかれては、ちょっとさみしいよね?だけど淳太くんが言ってくれた、「心はみんなのそばにいる。男だから約束は守る」を胸に、激重おたくはこれから先も、かみちゃんを、うえすとさんを近くに感じながらてっぺんをとる姿を見て居たいと思った。
わたしの夢を、叶えてくれてありがとう。あんなに素敵な、ペンライトの海を見せてくれてありがとう。こんな最高なクリスマスをくれてありがとう。まだまだ、たくさんたくさんありがとうの気持ちがあるよ?普通に生きていたら出会うはずのなかった人たちの人生を、ほんの一部だけど、一緒に歩ませてくれて、ほんの一部だけど一緒の景色を見せてくれて、本当にありがとう。出会えてよかった。心から思うよ。
たくさんの、悔しさや悲しさを知ってる7人だから、必ず、必ず、正真正銘の無敵の7人になってくれると信じてる。私たちも、ついて行く準備は十二分にできてる。
だから、最高のてっぺんの景色へ
無敵の7人さぁ、行こうか!
「双眼鏡を使って孤立せずに」という自担の言葉にしばらく悩まされたわたしが今思うこと。
はてなブログを見返していたら1年ほど前のこの時期に同じようなことでものすごく悩んでいたのにびっくりした。今回は「掛け持ち」ということではないけれど、前回掛け持ちして楽になろうかなと思った時の感情と同じ部分が多かった。
わたしが悩んでいること。すごく小さいことだろうしどうだっていいよってことだろうけど、わたしにはどうでもいいことではないし「そうだよね〜ごめんねそうするね〜」という感情だけでは片付けられなかった。
「双眼鏡を使って孤立せずに」
きっと何にも考えずに打った言葉だと思うしただひたすら舞台を良いものにしたい思いから打った言葉だと思う。それはとてもよくわかる。し、そういうところは本当にいいところだなと思う。ただ、言葉の使い方が悪い。双眼鏡は私達にとって応援するにあたってとても大事なものだとわたしは思う。特に神山さんのようにパフォーマンス系の担当の人たちにとってはなくてはならないと思う。それを知ってか知らずか、理解していないような発言を平気でするような人だったんだなとショックだった。それに何より、今回出ている俳優さんが素晴らしい方々なので個人的には神山さん以外もよく見ていて、ひどい時は神山さんを見ることなく他の共演者の方を見ていることもあるくらいだった。
きっと神山さんが思っていることと私たちが思っていることが交わらずに(こちらは交わろうとしてる)、そのまま真っ直ぐ進んでしまうから今回のようなことになる。他の同担のみんなはどう感じたのか何も言わないからわからないけどわたしはすごく残念だと思った。何度も言うけど昔からそういう人だったのかなって思った。でも何となく最近言葉が優しくないし、良くない態度なこともある。これはわたしの基準だしみんなと違うと思うから当てになるのかはわからないけど、わたしはそう感じる。
昔に戻って欲しいなと、最近たくさん思う。しんどいことがたくさんあったし、悔しいなと思いながら泣いたこともたくさんあった。でも一つ一つのことが嬉しかったし、本人も嬉しそうで楽しそうで、辛いなりに幸せそうだった。きっと先の見えない不安な状態がそうさせてたんだろうけど。それはわたし自身も同じで、「いつ居なくなるかわからない」と毎回思って見てた。そういう不安があったからものすごく一喜一憂した。その頃の方が楽しかった。懐古人間だから仕方ないのかもしれないけど。
でもよく考えたら昔、春松竹の時にものすごく「え?そんな顔ステージでする?」って思って動揺したことがあったっけか。あれは、アンコールを求めすぎたが故にそうなったことだからこちらに非があると思うから、まあ仕方ないけども、ここ最近の神山さんは仕方ないでは済ませられない。
もうちょっと、ひとつひとつの小さい仕事も小さいことも大切にして欲しい。もっともっと仕事を大切にして欲しい。こんなことを言い出すと苦情おばさんみたいだけど、私たちが事務所に落としたお金が自分のお給料になってること、ファンがいないと、お客さんがいないとまるきりダメなお仕事をしていることを今よりももっと自覚して欲しい。そうすると自ずとああいう言葉遣いにはならないと思う。私たちはファンである前に、お客さんだから。今回の神山さんの発言はお客さんに対して失礼ではないかなと思う。汚い言い方をすれば、お金を使っているのはこちらなので、与えられた時間をマナーの許す範囲で楽しむことは私達の自由ではないかな。度を超えていたりマナーを守れていないのならば言われても当然だけど、しっかりと守った上で楽しんでいることを「ダメ!」と言われる筋合いはないよね?
マナーの事もそうだけど、神山さんを含めWESTのみんなは守れていない人のことをいつもいう。
「マナーは守れていますか?」
いつかの雑誌で神山さんが言っていた。いつだってマナーを守れている人のことはほったらかしで守れていないことばかりを責めてくる。「ちゃんと譲り合って!奪い合いは醜いで!譲り合って!」その言葉を「いつも譲り合ってくれてありがとう〜!」に変えてくれるだけできちんと守っている人たちは「ああ、守っててよかった〜」と快く帰れる。守れ守れと言われると「何でいつまでたっても守らないのかな〜」と、モヤモヤして帰らなくてはいけない。そういう風に言葉の配慮もできるような人に神山さんにはなって欲しいなと、うるさい苦情おばさんは思います。
ここまで書いたことは、わたしの勝手な思いであって正しいことではないと思います。これもひとつの考え方だと思ってもらえると幸いです。たまには、担当至上主義のなかにわたしのような「ダメなことはダメ!」みたいな考え方があってもいいかな、と。今回のことはもうかれこれ2、3年溜め込んだうえでの大爆発だからわりと、わたしの気持ちの整理がつくまで時間がかかっちゃったけど、もうこれで気持ちの整理もついたし、この事については考えないし、言わない。(と、思う。)いつまでも尾を引いててもいい事ないしね。
よし、おしまい。
空のようにさわやかな君は7月生まれ
1993年7月1日。かみちゃんが生まれた。小さい頃は喘息があったりアレルギーがあったり割と体が弱い印象だけど、それでも元気でやんちゃに育って、ジャニーズに入った。ジャニーズに入ったって簡単に言うけど今日までの間にはとってもいろいろなことがあったと思う。こんな世界に入っていなければ毎年家で家族にお祝いされて大切な人に囲まれて笑顔で過ごせていたかもしれない。
普通が普通じゃない世界の中で生きている彼を見てわたしは何度も「シアワセなのかな?」と考えたことがある。(今でもよく考える)
かみちゃんのシアワセはかみちゃん自身が決めることだからもしかしたら毎日全然シアワセじゃないなと思ってるかもしれない。でもそれでも、時々はステージに立っていること、普通じゃない世界の中でキラキラしていることを誇りに思ってシアワセであってほしいと心から願う。
かみちゃんが普通じゃない世界の中で生きてくれていたからわたしはこうして今年も「お誕生日おめでとう」ということが出来る。普通じゃない世界から普通の世界に戻る事を選ばず苦労しながらもココにい続けてくれること、本当に本当にありがとう。
きっとわたしもこの世界を知らずに生きていたらかみちゃんに出逢わずにきっと刺激のない平凡な日々を過ごしてただろうけど、かみちゃんが生まれてくれたおかげでこの世界を生きてくれてるおかげでこんなにも刺激的で楽しい日々が過ごせてるんだなと思う。
23年の中のたった5年しかおめでとうを言えていないけどそれでも5回もおめでとうを言わせてくれてありがとう。何度も何度もお礼を言うよ。今年もこうしてお祝いできて本当に良かった。
24歳も25歳もその先もずっとずっとおめでとうが言えますように。22歳のかみちゃんたくさんのシアワセをありがとう。23歳のかみちゃんお誕生日おめでとう。ステキな一年になりますように。かみちゃんが笑顔でいられますように。
君が何より大切なんだ
そしてずっと一緒にいたいよ
心を込めて Happy birthday to you...
わたしが神山担である理由
エディを中心に観たブラッドブラザース
リンダはミッキーからもエディからも幸せにしたいと思われていてとても羨ましいなと思うほど。焦って思いをハッキリと伝えてしまったのはきっと、本当の友達だと思っていたミッキーから大嫌いだと言われ、すがれるものがリンダだけになったから、望みがリンダの幸せだけになってしまったからなんじゃないかな。当て付けではないと私は思う。奪おうという気持ちもなかったと思う。だって議員になったエディはあんなに切ない顔してリンダに会ってたから。リンダに幸せになって欲しいけど、あんな状態なミッキーから奪ってしまうのはフェアではないし、長年ふたりを見てきたからエディは自分ではリンダを幸せにできないことも、リンダは自分のことが心から好きなわけではないこともよく分かってる。そんな表情だった。(と、思った。)だから本当はエディの気持ちでは口にしたかったはずのキスもほっぺただったんだと思う。(ほっぺたにするキスは、好意や友情のキスです。だそうです。)この解釈にたどり着いてからリンダとエディが会うシーンがものすごく切なくて、エディが可哀想で毎回泣きました。
そして、最後のシーン。なんとなくエディは自分の最後を悟ってる気がします。ジョンストン夫人が『ふたりは双子だ』と言った時きっとミッキーもエディもお互いに「こいつになれたかもしれないのに」という気持ちがあったのかなと思う。エディはさらに、実の母親にも育ての母親にも嘘を吐かれていたことへの絶望があるようにも思う。
ここまでエディをまとめたけど、私の解釈だしあってるあってないはわかりません。でも、エディはとても兄弟思いで、リンダ思いで、家族思いで、心優しい若者だったんだろうなと思います。わたしの担当は神ちゃんなのでやっぱり表情とか全身の動かし方だとか声色だとか、そういうのは無意識にエディを見ちゃうしエディの気持ちを読もうとしてしまって、すごくエディ贔屓な物語の観方をしてしまったなと思う。解釈は人それぞれだと思うし、わたしはわたしの解釈でしか舞台を観てないからこれ以上の観方はできなかったと思うし、今の私ができる一番納得のいく解釈はこれでした。