みなさんにお知らせ!

昨日まであんなたのしいコンサートを見てきた次の日にこんなこと言うのかよって感じだけど、皆さんに報告。

 

わたしは神山担を降ります。

 

もうね、ここ最近とかじゃなくて遡るともう3年とかそれくらい前から、ずっとずっと悩んでた。悩んでは引き戻され悩んでは引き戻されをずっとずっと繰り返してた。けど、自分が変わる勇気を振り絞って、ちょっと行動に移したら、かみちゃんを見てる自分はこんなにも視界が狭くて、余裕がなかったんだなって思った。こんなお荷物なファンよりも、もっと素敵な感性でフランクに見てる人はたくさんいると思うから、わたしはもういいかなぁ、と。

あとは、かみちゃんが丸くなりすぎてギラギラしたあのかみちゃんじゃなくなって、刺激がなくなった。気がする。丸くなるのはとってもいいことだけど、わたしはやっぱり昔のかみちゃんが大好きだった。いつも並べてしまう。昔はこうじゃなかったなとか、昔のかみちゃんはこう言っただろうな、とか。そういうのは、もうかみちゃんには必要ないし、重すぎると思う。

 

5年10ヶ月。すっごいあっという間だった。おたくしてきてていっっっっっっっっちばん幸せだった。最高の担当だったよ。本当にありがとう。

たくさん幸せもらったよ!たくさん思い出もらったよ!たくさん辛い思いもしたよ!でもそのぶんたくさん嬉しいがあったよ!ダンス大好きだったよ!歌も好きだったよ!本番中に失敗した時その場で反省会するのみんな心配になるからやめようね!MCもっと話してね!みんな話してほしいと思ってるよ!アカンLOVEの全力なフリ楽しくて好きだったよ!アツ苦しいくらいアツいところ好きだったよ!デビューしてくれてありがとう!ドームの景色見せてくれてありがとう!今まで好きでいさせてくれてありがとう!うわ!こんなこと書いてたらイヤホンからシルエット流れてきた!泣いてる!(笑)泣いてるけどでも!前に進むよ!本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当にありがとう!ありがとうじゃ足りないくらいありがとう!大好きだった!本当に大好きだった!降りるなんて思わなかった!こんな日が来るなんて思わなかった!本当に大好きだった!ね!ありがとう!これからはたくさんのファンの子のこと、幸せにしてあげてね!降りてなおおこがましいけど見守ってるね!かみちゃーーーーーん!本当に本当にありがとう!!!!!!!!!さようなら!!!!!!またね!!!!!!!!!!

 

 

2016.1.30

無敵の7人さぁ行こうか

ジャニーズWEST 1st ドームLIVE 〜24から感謝届けます〜」に行ってきた。

 

始まる前は友達とキャッキャッしてまるでコンサート感の無い時間を過ごして、イオンで回るけど安くない回転寿司なんか行っちゃって、高いからビビって丼にしたのに結局色々頼んじゃったりなんかして、ふざけにふざけて席についた。そのときの私は、ただのコンサートに来たという感覚だった。オープニング映像もなんならええじゃないかも、とりわけいつもと変わらないと思ってた。ただ、わたしの中で何かが変わったのは、はまちゃんの一言。

 

「俺たちの夢へようこそ」

 

この一言。ここではたと気付く。「もしかして、わたし、すごい場所にいる?」そこからは堰を切ったように涙がとめどなく流れた。

 

俺たちの夢。だけど、わたしの夢でもあったドーム。いつか神ちゃんに連れてきてもらいたいと思っていた場所。そこにわたしはいる。夢が叶ったんだ。そう思うともう、止められるはずもなく泣きながらズンドコ踊る。涙で前が見えない。けど、楽しい。心の底から楽しい。きっと、あんなに大きな会場でのびのびと歌い踊る神ちゃんを、うえすとさん達を、この目で見られて、とっても嬉しかったから。まだ、松竹座に通っていた頃、早く大きな会場で踊る神ちゃんを見たいと何度も思った。大阪城ホールじゃ物足りない。もっと大きいところで、力一杯、多少立ち位置がずれたって誰にもぶつかることのない、そんな広い、広い会場で、歌い踊る神ちゃんをみたかった。

これは、わたしの思い過ごしかもしれないけど、神ちゃんがね、いつもよりも何倍も何倍も楽しそうに踊ってた気がした。楽しそうというより、楽しさが、嬉しさが溢れ出してる、そんな感じ。こんな神ちゃん、久しぶりに見たな〜ってそれもまた嬉しかった。SCARSからのダンスメドレーは正直、体力の限界への挑戦っぽい感じあった。けど、それすら楽しそうに、のびのびと踊ってた。もちろん、ちょっと暗転した時とか、止まってる時とかはものすごく苦しそうに肩で息してたけど、でも、それでも、瞬間瞬間を楽しんでるような気がした。

 

ジュニア時代コーナーは、たくさんの映像を懐かしく思って、辛かったことも、楽しかったことも、悔しかったことも、嬉しかったことも、何もかも、走馬灯のように思い出させた。思い出して楽しい思い出もたくさんあるけど、そのぶん悲しくなる思い出だってある。いいとこばかりじゃなかった。それでもいつも、キラキラ笑って、ここまで来てくれた。ここまで連れて来てくれた。

 

過去を振り返るとたくさんたくさん思いが溢れる。仕事が決まって飛んで喜んだ日も、どうしてこうなるのかなって悩んだ日も、忘れられない誕生日のお祝いも、もう全て終わりだと思ったあの日も、仲間との悲しい別れも。過去が押し寄せてくる。でも、その過去があるから今があって、その過去があるから、今がより一層輝いてるんだなって思った。そりゃね、できれば誰もかけることなくこの景色をみんなで見たかったと、こんな楽しい時間をくれてるのに本当に申し訳ないけどちょっと思った。でもきっと、思いは伝わってるはず。そう思う。

 

ネクステからのシルエット。

デビュー前に歌うネクステもかっこよくて好きだったけど、今歌うネクステはとても強かった。

 

奇跡なんかいらない この手で掴み取るだけさ

 

きちんと夢を、掴み取った7人だから、強く感じるんだよねきっと。衣装もそれまで自分たちのジュニアの時の衣装を着てたけどネクステではお揃いのキミコイ衣装に着替えて、ジュニアからネクストステージに変わったって言うのが見てもわかって、さらに強さを出させてる気がした。シルエットはね〜。ダメだね。思い出が多すぎる。「大切なことは君がいること」これにつきるよね?それ以上も以下もないよね?

 

かみちゃんが居てくれたから、わたしはあんな最高の景色を見れた。かみちゃんがここまで、頑張ってくれたから、わたしの夢も叶えられた。本当に本当にありがとう。心から思うよ。

 

挨拶でかみちゃんは「みんなと見たい景色はもっとある」って言ってた。わたしもかみちゃんと、うえすとさんと、見たい景色がもっともっとある。まだ、ドームは日本にたくさんあるしね?スタジアムだってあるしね?あの日約束したてっぺんだったまだまだ麓にようやく着たかなって感じだしね?だから、そう言う風にかみちゃんも、うえすとさんも思ってくれてることが嬉しかった。

あと、みんな口々に、「そばにいるよ」って言ってくれてたのがとても嬉しかった。そりゃこれから先、物理的距離はどんどん開いちゃうと思う。これは仕方ない。だっててっぺん取るんだもんね?だから、仕方ない。だけど、心の距離まで置いていかれては、ちょっとさみしいよね?だけど淳太くんが言ってくれた、「心はみんなのそばにいる。男だから約束は守る」を胸に、激重おたくはこれから先も、かみちゃんを、うえすとさんを近くに感じながらてっぺんをとる姿を見て居たいと思った。

 

わたしの夢を、叶えてくれてありがとう。あんなに素敵な、ペンライトの海を見せてくれてありがとう。こんな最高なクリスマスをくれてありがとう。まだまだ、たくさんたくさんありがとうの気持ちがあるよ?普通に生きていたら出会うはずのなかった人たちの人生を、ほんの一部だけど、一緒に歩ませてくれて、ほんの一部だけど一緒の景色を見せてくれて、本当にありがとう。出会えてよかった。心から思うよ。

 

たくさんの、悔しさや悲しさを知ってる7人だから、必ず、必ず、正真正銘の無敵の7人になってくれると信じてる。私たちも、ついて行く準備は十二分にできてる。

 

だから、最高のてっぺんの景色へ

 

 

無敵の7人さぁ、行こうか!

 

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「双眼鏡を使って孤立せずに」という自担の言葉にしばらく悩まされたわたしが今思うこと。

はてなブログを見返していたら1年ほど前のこの時期に同じようなことでものすごく悩んでいたのにびっくりした。今回は「掛け持ち」ということではないけれど、前回掛け持ちして楽になろうかなと思った時の感情と同じ部分が多かった。

わたしが悩んでいること。すごく小さいことだろうしどうだっていいよってことだろうけど、わたしにはどうでもいいことではないし「そうだよね〜ごめんねそうするね〜」という感情だけでは片付けられなかった。

 

「双眼鏡を使って孤立せずに」

 

きっと何にも考えずに打った言葉だと思うしただひたすら舞台を良いものにしたい思いから打った言葉だと思う。それはとてもよくわかる。し、そういうところは本当にいいところだなと思う。ただ、言葉の使い方が悪い。双眼鏡は私達にとって応援するにあたってとても大事なものだとわたしは思う。特に神山さんのようにパフォーマンス系の担当の人たちにとってはなくてはならないと思う。それを知ってか知らずか、理解していないような発言を平気でするような人だったんだなとショックだった。それに何より、今回出ている俳優さんが素晴らしい方々なので個人的には神山さん以外もよく見ていて、ひどい時は神山さんを見ることなく他の共演者の方を見ていることもあるくらいだった。

きっと神山さんが思っていることと私たちが思っていることが交わらずに(こちらは交わろうとしてる)、そのまま真っ直ぐ進んでしまうから今回のようなことになる。他の同担のみんなはどう感じたのか何も言わないからわからないけどわたしはすごく残念だと思った。何度も言うけど昔からそういう人だったのかなって思った。でも何となく最近言葉が優しくないし、良くない態度なこともある。これはわたしの基準だしみんなと違うと思うから当てになるのかはわからないけど、わたしはそう感じる。

昔に戻って欲しいなと、最近たくさん思う。しんどいことがたくさんあったし、悔しいなと思いながら泣いたこともたくさんあった。でも一つ一つのことが嬉しかったし、本人も嬉しそうで楽しそうで、辛いなりに幸せそうだった。きっと先の見えない不安な状態がそうさせてたんだろうけど。それはわたし自身も同じで、「いつ居なくなるかわからない」と毎回思って見てた。そういう不安があったからものすごく一喜一憂した。その頃の方が楽しかった。懐古人間だから仕方ないのかもしれないけど。

でもよく考えたら昔、春松竹の時にものすごく「え?そんな顔ステージでする?」って思って動揺したことがあったっけか。あれは、アンコールを求めすぎたが故にそうなったことだからこちらに非があると思うから、まあ仕方ないけども、ここ最近の神山さんは仕方ないでは済ませられない。

もうちょっと、ひとつひとつの小さい仕事も小さいことも大切にして欲しい。もっともっと仕事を大切にして欲しい。こんなことを言い出すと苦情おばさんみたいだけど、私たちが事務所に落としたお金が自分のお給料になってること、ファンがいないと、お客さんがいないとまるきりダメなお仕事をしていることを今よりももっと自覚して欲しい。そうすると自ずとああいう言葉遣いにはならないと思う。私たちはファンである前に、お客さんだから。今回の神山さんの発言はお客さんに対して失礼ではないかなと思う。汚い言い方をすれば、お金を使っているのはこちらなので、与えられた時間をマナーの許す範囲で楽しむことは私達の自由ではないかな。度を超えていたりマナーを守れていないのならば言われても当然だけど、しっかりと守った上で楽しんでいることを「ダメ!」と言われる筋合いはないよね?

マナーの事もそうだけど、神山さんを含めWESTのみんなは守れていない人のことをいつもいう。

 

「マナーは守れていますか?」

 

いつかの雑誌で神山さんが言っていた。いつだってマナーを守れている人のことはほったらかしで守れていないことばかりを責めてくる。「ちゃんと譲り合って!奪い合いは醜いで!譲り合って!」その言葉を「いつも譲り合ってくれてありがとう〜!」に変えてくれるだけできちんと守っている人たちは「ああ、守っててよかった〜」と快く帰れる。守れ守れと言われると「何でいつまでたっても守らないのかな〜」と、モヤモヤして帰らなくてはいけない。そういう風に言葉の配慮もできるような人に神山さんにはなって欲しいなと、うるさい苦情おばさんは思います。

 

ここまで書いたことは、わたしの勝手な思いであって正しいことではないと思います。これもひとつの考え方だと思ってもらえると幸いです。たまには、担当至上主義のなかにわたしのような「ダメなことはダメ!」みたいな考え方があってもいいかな、と。今回のことはもうかれこれ2、3年溜め込んだうえでの大爆発だからわりと、わたしの気持ちの整理がつくまで時間がかかっちゃったけど、もうこれで気持ちの整理もついたし、この事については考えないし、言わない。(と、思う。)いつまでも尾を引いててもいい事ないしね。

 

 

よし、おしまい。

空のようにさわやかな君は7月生まれ

1993年7月1日。かみちゃんが生まれた。小さい頃は喘息があったりアレルギーがあったり割と体が弱い印象だけど、それでも元気でやんちゃに育って、ジャニーズに入った。ジャニーズに入ったって簡単に言うけど今日までの間にはとってもいろいろなことがあったと思う。こんな世界に入っていなければ毎年家で家族にお祝いされて大切な人に囲まれて笑顔で過ごせていたかもしれない。

 

普通が普通じゃない世界の中で生きている彼を見てわたしは何度も「シアワセなのかな?」と考えたことがある。(今でもよく考える)

 

かみちゃんのシアワセはかみちゃん自身が決めることだからもしかしたら毎日全然シアワセじゃないなと思ってるかもしれない。でもそれでも、時々はステージに立っていること、普通じゃない世界の中でキラキラしていることを誇りに思ってシアワセであってほしいと心から願う。

 

かみちゃんが普通じゃない世界の中で生きてくれていたからわたしはこうして今年も「お誕生日おめでとう」ということが出来る。普通じゃない世界から普通の世界に戻る事を選ばず苦労しながらもココにい続けてくれること、本当に本当にありがとう。

 

きっとわたしもこの世界を知らずに生きていたらかみちゃんに出逢わずにきっと刺激のない平凡な日々を過ごしてただろうけど、かみちゃんが生まれてくれたおかげでこの世界を生きてくれてるおかげでこんなにも刺激的で楽しい日々が過ごせてるんだなと思う。

 

23年の中のたった5年しかおめでとうを言えていないけどそれでも5回もおめでとうを言わせてくれてありがとう。何度も何度もお礼を言うよ。今年もこうしてお祝いできて本当に良かった。

 

24歳も25歳もその先もずっとずっとおめでとうが言えますように。22歳のかみちゃんたくさんのシアワセをありがとう。23歳のかみちゃんお誕生日おめでとう。ステキな一年になりますように。かみちゃんが笑顔でいられますように。

 

 

 

 

君が何より大切なんだ
そしてずっと一緒にいたいよ
心を込めて Happy birthday to you...

 

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わたしが神山担である理由



じつは、最近ものすごく悩んでいることがありました。それは、「わたしが神山担でいることの意味」です。

わたしは元々、有岡の大ちゃんの担当でした。ある日突然目の前に現れたカミちゃん。カミちゃんが歌うたびに、踊るたびに、笑うたびにわたしはとてもシアワセな気持ちになったし、とても楽しい気持ちになりました。気付いたら大ちゃんよりもカミちゃんへの気持ちの方が大きくなっていって、ずるずるずるっとカミちゃんに降りてしまいました。

それからもうすぐ4年になろうとしています。カミちゃんが駆け抜けてきた10年以上の日々のたった4年しか応援することができていないけれど、お仕事が全くなくて昼間は主夫で趣味がビーズ細工になってたような時期も、SHARKの出演が決まって自信に満ち溢れていた時期も、たぶんきっと人生のいちばんのどん底を見たであろうあの時期も、これまたたぶんきっと人生の中でいちばんのシアワセであっただろうデビューも、主演舞台でキラキラ輝いている日々も、他にもたくさんの時間や出来事を見届けられて、1日1日とっても大切でとっても楽しい日々だったなと思います。


デビューをしたら、はじめのうちはファンのことなんてかえりみず、がむしゃらに前を向いて突っ走って欲しいと思っていました。そしてたまに振り返って、目線を合わせてくれる、それだけでシアワセなんだろうなと思っていました。
元々わたしは、カミちゃんから発される「言葉」が大好きでした。たまにアツすぎてお米先生とかひまわり先生とかイジられちゃうこともあるけど、一生懸命考えた等身大の言葉で伝えてくれることがとても嬉しかった。
目を瞑りたくなるくらいアツすぎるカミちゃんが好きだった。

だけど、

上手くは言えないけれど、カミちゃんから発される言葉や態度には、わたしの心の中に響くすものがどんどん減ってきて(でも、現場でカミちゃんを見るとブワっと気持ちが盛り上がる。)、その反対に、ここ最近わたしの目には大ちゃんがとてもとてもキラキラして見えるようになってしまった。



そもそも掛け持ちというのはダメなことだ、とされる時代にオタクをしていたので自分の中でもその心が根付いてしまっています。
きっちり同じ気持ちできっちり同じ額を年間で使える気が全くしないし、それができないと、どちらともの純粋にひとりだけがすきな方々にとっても失礼だなっていう罪悪感に勝つことができません。

好きなら好きでいいじゃん!はわたしの選択肢にないのです。

でも、いまは、掛け持ち(というかもうみんながいろんなグループのいろんなコンサートに行くこと)に対してそんなに厳しい意見が出るような世の中ではなくなってきています。

もう、カミちゃんはJr.じゃ無くなっちゃったから、今までのわたしのようなスタンスの応援は必要ないと思うんです。(本人も俺がすることを見守ってて的なことを言ってたし…)でも、わたしにとって今までの応援のスタンスはそんなにすぐには崩せないし、だから、なかなか上手くテンションを保てないし、って言うのをずっとずっと繰り返していました。

でもそんな心の隙間にスーッといつも大ちゃんが入り込んできて、癒されて、満たされます。でも、でも、何かが違うし、何かが足りないというのは自分でとってもよくわかって、これはただの逃げなのだとまたモヤモヤして悩んでしまいます。

きっと、掛け持ちになって大ちゃんとカミちゃんを見ている方がきっと楽しいと思う。でも、楽しい思いよりも悩む時間が多くなっているのにどうしてここまでして、神山担にこだわるのか。

自分でも、なんでなんだろう?と不思議でなりません。でもきっと、わたしが見てきた過去のカミちゃんが全て引き止めるんです。そして、過去のカミちゃんをみていると不思議と、まだこれからもカミちゃんが「7人でよかった」と笑っている姿を、シアワセそうにメンバーにいじられている姿を、ひとつひとつのお仕事を見ていたいなと思うんです。

きっと、これからもこうして悩むことが増えていくんだろうなと思います。だけどその度にきっと、カミちゃんの未来を夢見て、また、「自分が神山担でいたい理由」を導き出すのかなとも思います。


悩みすぎて忘れていたけど、わたしにはカミちゃんを応援し始めた頃からの夢があったんだった。

「カミちゃんが満員のドームの真ん中でソロを歌う姿が見たい」


この夢が叶う日までカミちゃんを見ていたいなと、言葉にすることであらためて思えた。


すっきり!とまではいかないけど、さっきも言ったけどきっとまた悩むけど、その度にこのわたしの言葉を読み返して、今までカミちゃんが見せてくれたキラキラな日々を思い出して、また、初心に帰りたいなと思う。



きっとこんなにヘビーにおたくをする必要はないんだろうけど、わたしには楽しみはこれしかないから、これからもヘビーにおたくをしていきます。この笑顔をいつまでも見ていたいから。



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エディを中心に観たブラッドブラザース

ブラッドブラザース大千秋楽おめでとうございます。楽しい時間は長くは続かないとわかっていても、こんなにキラキラして楽しくて幸せな時間が続けばいいのにな…と思い、口に出さなければその日が来ないかな?何て思ったけどやっぱりきてしまいました。いつもの松竹座で、いつもとは違う環境の中でエディを精一杯生きる神ちゃんを少しでも多く、長く観たいと心の底から思いました。

観劇するたびにいろいろな感情が生まれました。私の中で一番スッキリと来た解釈は『みんなが無い物ねだりだったことがエディとミッキーの不幸の代償だった』という事でした。あ、でもわたしはミッキーとエディは幸せだと思います。死んじゃったけど。2人が死んでしまった時、ふたりともお腹の中にいる胎児のような体勢で倒れているのを見てそう思うようになりました。本当の兄弟と知った今、ふたりがお互いを羨むこともないし、助け合って幸せに暮らしてると思いたい。
話がずれちゃったけど、ジョンストン夫人はお金。ライオンズ夫人は子供。リンダはミッキーとの幸せな生活。ミッキーは、リンダを幸せなにできるだけのお金。エディは本当の友達とリンダ。他にももっと彼らが持っていなくて欲しいものはあると思うけど私が感じたのはこれだった。
エディにとって、自由で友達も多くて愛しの、何よりも幸せにしてあげたいリンダから想いを寄せられていて、そのリンダを幸せにする権利をもっているミッキーは羨ましい存在で、その逆に、ミッキーはリンダを幸せにするにはお金が必要だと思っていて、そのお金がない自分にはリンダを幸せにする資格がない。けど、エディはお金を持っていて、リンダを幸せにできると思っているから、エディは羨ましい存在なのかなと思いました。
でも、エディはミッキーにしかリンダを心の底から幸せだと思わせられない、リンダにはミッキーが、ミッキーにはリンダが必要だと思ってるから、リンダと会ってるときいつも、切ない顔をしているんだなと、ミッキーが「俺に必要なものはリンダだ」と言った時嬉しそうな顔をするんだなと、わたしは、解釈した。

人はみんな、無い物ねだりで、無いものを手に入れるには必ず代償を払わなくてはいけないんだなって思った。そう考えて自分の普段の生活を見てみると、確かに無い物ねだりの代償を払わされることはよくあるなと思いました(笑)

ここからは、私が感じたエディの事を書きますね。
7歳のエディはとってもとっても純粋で、好奇心が旺盛で、自分の知らないことを知っている人はスーパーマンか何かだと思っていて(多分きっとそれはあまり友達もいないし、兄弟もいなくて、教えてくれる人がいないからかなと解釈しました。)、素直に『ねぇねぇそれってどういうこと?』と聞ける子。まっすぐに自分の知らない世界を見つめて吸収してる感じがとってもとっても伝わってきた。7歳のエディがとてもハマり役だったような気がしてならないです。わたしは。

それがだんだんと、ミッキーと離れて、ミッキー達とは違うんだと周りに言われ育っていくうちに、ちょっとだけ、おごり高ぶって14歳の時には少し嫌味な子に育ってしまっていて、なんだかわたしは寂しいなと思いました(笑)でも多分それは本当の友達がいなかったからで、心が寂しかったのかなと思った。

そこからはミッキーたちとまた出会ってリンダに恋をして、リンダを幸せにしたいと思うようになっているのがちょっとずつわかるような目線とか表情とかしててすごいなぁと思った。タバコを吸うシーンとか。リンダのことを見てるんです。エディ。ミッキーに向ける笑顔と、リンダに向ける笑顔はちょっと違うんです。すごいなぁ。と感心しました。

わたしが一番と言っていいほど好きなのが18歳の大学に発つ前日、リンダへ向けて「I'm not saying a word」を歌うシーン。つらつらと歌っていく中で『でも僕は言わない君が好きなんて』と歌いながら右手をぎゅっと握って自分の感情を、リンダへの思いを隠そうとするところがとても切なくて、リンダに必要なのは自分ではないと分かっているから、ハッキリと想いは言わない。そんなエディがとても切なくて悲しかった。

まあ大学に入ってからはもうほぼほぼおバカなパリピポですよ。そのおバカなパリピポ感もちゃんと出していて、すごいなぁと感心しました。でも、パリピポだけど、そんなエディだけど、願いはただひとつ、リンダの幸せと、本当の友達が欲しい、ってことなんだろうなぁと。

リンダはミッキーからもエディからも幸せにしたいと思われていてとても羨ましいなと思うほど。焦って思いをハッキリと伝えてしまったのはきっと、本当の友達だと思っていたミッキーから大嫌いだと言われ、すがれるものがリンダだけになったから、望みがリンダの幸せだけになってしまったからなんじゃないかな。当て付けではないと私は思う。奪おうという気持ちもなかったと思う。だって議員になったエディはあんなに切ない顔してリンダに会ってたから。リンダに幸せになって欲しいけど、あんな状態なミッキーから奪ってしまうのはフェアではないし、長年ふたりを見てきたからエディは自分ではリンダを幸せにできないことも、リンダは自分のことが心から好きなわけではないこともよく分かってる。そんな表情だった。(と、思った。)だから本当はエディの気持ちでは口にしたかったはずのキスもほっぺただったんだと思う。(ほっぺたにするキスは、好意や友情のキスです。だそうです。)この解釈にたどり着いてからリンダとエディが会うシーンがものすごく切なくて、エディが可哀想で毎回泣きました。

そして、最後のシーン。なんとなくエディは自分の最後を悟ってる気がします。ジョンストン夫人が『ふたりは双子だ』と言った時きっとミッキーもエディもお互いに「こいつになれたかもしれないのに」という気持ちがあったのかなと思う。エディはさらに、実の母親にも育ての母親にも嘘を吐かれていたことへの絶望があるようにも思う。


ここまでエディをまとめたけど、私の解釈だしあってるあってないはわかりません。でも、エディはとても兄弟思いで、リンダ思いで、家族思いで、心優しい若者だったんだろうなと思います。わたしの担当は神ちゃんなのでやっぱり表情とか全身の動かし方だとか声色だとか、そういうのは無意識にエディを見ちゃうしエディの気持ちを読もうとしてしまって、すごくエディ贔屓な物語の観方をしてしまったなと思う。解釈は人それぞれだと思うし、わたしはわたしの解釈でしか舞台を観てないからこれ以上の観方はできなかったと思うし、今の私ができる一番納得のいく解釈はこれでした。


たくさん書いたけど、本当に素敵な舞台だった。これにつきます。マルシアさんも言ってたけど、是非とも再演して欲しい。また、エディを生きる神ちゃんを観たいから。また、あのカンパニーの中で幸せそうにしている神ちゃんを観たいから。その日を願いっています。


エディ、ありがとう。さようなら。f:id:hm835:20150316234443j:plain

おめでとう。ありがとう。大好きです。

今日は神ちゃんがジャニーズ事務所に入所した、とても大切な日です。

私が神ちゃんの存在を知ったのは2012年のこの時期でした。少年たち(2010年版)を妹が見ていたのがきっかけでした。わたしは神ちゃんの歌声にヒトメボレしてずるずると『神山沼』なるものにハマっていきました。わたしが神ちゃんの存在を知るまでの間、とてもとても長い年月が過ぎていました。私なんかが語れるようなことでもないし、そんな簡単な歳月ではないと思うけど、その中で、挫折したことも、辞めようと思ったことも、楽しかったことも、嬉しかったことも、たくさんたくさんあったと思います。だから、いま、こうして、笑顔でステージに立ち続けてくれていることは、決して当たり前じゃないし、どこかの瞬間で『辞めよう』と思って思ったことを行動に移していたとしたら私が神ちゃんを見れる、知れる、期間はとても短かったか、知らないままだったでしょう。

辛い時、悲しい時、苦しい時、神ちゃんの笑顔を見るととても元気になります。楽しい時、嬉しい時、神ちゃんが笑顔なら何倍も楽しく、嬉しくなります。神ちゃんの笑顔は魔法です。そんな魔法をこれからもずっとずっとステージからファンのみんなにかけ続けて欲しい、そしていつか、最高のてっぺんで、最高のメンバーと最高の笑顔を見せて欲しいって思います。


贔屓目だと言われるかもしれないけど、私にとって、『神山智洋』は、歌が上手くて、ダンスが上手くて、アクロバットが上手くて、器用だけど生きていくことは不器用で、家族思いで、メンバー思い出で、ファン思いで、おしゃれが大好きで、女子力が高くて、甘いものが大好きで、ジードラゴンさん大好きで、強火黄色エイターで、とってもあっつい心を持った世界でいっっっっっっちばん最高で最強のアイドルです。神ちゃん以上も以下もいません。

だから、ステージに立つ神ちゃんを見るたび本当に本当に思います。ここ(ステージ)にいてくれてありがとう。ここ(ステージ)で笑っていてくれてありがとう。これからも神ちゃんがずっとずっとずっと笑っていられますように。笑ってる神ちゃんを見て、笑えますように。今日まで、いつも笑顔で素敵な時間を、思い出を、嬉しいを、楽しいを、元気を、くれてありがとう。今日からも、笑顔で、素敵な時間を、思い出を、嬉しいを、楽しいを、元気を、みんなにあげられるような素敵な素敵なアイドルでいてください。


おめでとう。ありがとう。これまでも、これからもずっと大好きです。


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