エディを中心に観たブラッドブラザース

ブラッドブラザース大千秋楽おめでとうございます。楽しい時間は長くは続かないとわかっていても、こんなにキラキラして楽しくて幸せな時間が続けばいいのにな…と思い、口に出さなければその日が来ないかな?何て思ったけどやっぱりきてしまいました。いつもの松竹座で、いつもとは違う環境の中でエディを精一杯生きる神ちゃんを少しでも多く、長く観たいと心の底から思いました。

観劇するたびにいろいろな感情が生まれました。私の中で一番スッキリと来た解釈は『みんなが無い物ねだりだったことがエディとミッキーの不幸の代償だった』という事でした。あ、でもわたしはミッキーとエディは幸せだと思います。死んじゃったけど。2人が死んでしまった時、ふたりともお腹の中にいる胎児のような体勢で倒れているのを見てそう思うようになりました。本当の兄弟と知った今、ふたりがお互いを羨むこともないし、助け合って幸せに暮らしてると思いたい。
話がずれちゃったけど、ジョンストン夫人はお金。ライオンズ夫人は子供。リンダはミッキーとの幸せな生活。ミッキーは、リンダを幸せなにできるだけのお金。エディは本当の友達とリンダ。他にももっと彼らが持っていなくて欲しいものはあると思うけど私が感じたのはこれだった。
エディにとって、自由で友達も多くて愛しの、何よりも幸せにしてあげたいリンダから想いを寄せられていて、そのリンダを幸せにする権利をもっているミッキーは羨ましい存在で、その逆に、ミッキーはリンダを幸せにするにはお金が必要だと思っていて、そのお金がない自分にはリンダを幸せにする資格がない。けど、エディはお金を持っていて、リンダを幸せにできると思っているから、エディは羨ましい存在なのかなと思いました。
でも、エディはミッキーにしかリンダを心の底から幸せだと思わせられない、リンダにはミッキーが、ミッキーにはリンダが必要だと思ってるから、リンダと会ってるときいつも、切ない顔をしているんだなと、ミッキーが「俺に必要なものはリンダだ」と言った時嬉しそうな顔をするんだなと、わたしは、解釈した。

人はみんな、無い物ねだりで、無いものを手に入れるには必ず代償を払わなくてはいけないんだなって思った。そう考えて自分の普段の生活を見てみると、確かに無い物ねだりの代償を払わされることはよくあるなと思いました(笑)

ここからは、私が感じたエディの事を書きますね。
7歳のエディはとってもとっても純粋で、好奇心が旺盛で、自分の知らないことを知っている人はスーパーマンか何かだと思っていて(多分きっとそれはあまり友達もいないし、兄弟もいなくて、教えてくれる人がいないからかなと解釈しました。)、素直に『ねぇねぇそれってどういうこと?』と聞ける子。まっすぐに自分の知らない世界を見つめて吸収してる感じがとってもとっても伝わってきた。7歳のエディがとてもハマり役だったような気がしてならないです。わたしは。

それがだんだんと、ミッキーと離れて、ミッキー達とは違うんだと周りに言われ育っていくうちに、ちょっとだけ、おごり高ぶって14歳の時には少し嫌味な子に育ってしまっていて、なんだかわたしは寂しいなと思いました(笑)でも多分それは本当の友達がいなかったからで、心が寂しかったのかなと思った。

そこからはミッキーたちとまた出会ってリンダに恋をして、リンダを幸せにしたいと思うようになっているのがちょっとずつわかるような目線とか表情とかしててすごいなぁと思った。タバコを吸うシーンとか。リンダのことを見てるんです。エディ。ミッキーに向ける笑顔と、リンダに向ける笑顔はちょっと違うんです。すごいなぁ。と感心しました。

わたしが一番と言っていいほど好きなのが18歳の大学に発つ前日、リンダへ向けて「I'm not saying a word」を歌うシーン。つらつらと歌っていく中で『でも僕は言わない君が好きなんて』と歌いながら右手をぎゅっと握って自分の感情を、リンダへの思いを隠そうとするところがとても切なくて、リンダに必要なのは自分ではないと分かっているから、ハッキリと想いは言わない。そんなエディがとても切なくて悲しかった。

まあ大学に入ってからはもうほぼほぼおバカなパリピポですよ。そのおバカなパリピポ感もちゃんと出していて、すごいなぁと感心しました。でも、パリピポだけど、そんなエディだけど、願いはただひとつ、リンダの幸せと、本当の友達が欲しい、ってことなんだろうなぁと。

リンダはミッキーからもエディからも幸せにしたいと思われていてとても羨ましいなと思うほど。焦って思いをハッキリと伝えてしまったのはきっと、本当の友達だと思っていたミッキーから大嫌いだと言われ、すがれるものがリンダだけになったから、望みがリンダの幸せだけになってしまったからなんじゃないかな。当て付けではないと私は思う。奪おうという気持ちもなかったと思う。だって議員になったエディはあんなに切ない顔してリンダに会ってたから。リンダに幸せになって欲しいけど、あんな状態なミッキーから奪ってしまうのはフェアではないし、長年ふたりを見てきたからエディは自分ではリンダを幸せにできないことも、リンダは自分のことが心から好きなわけではないこともよく分かってる。そんな表情だった。(と、思った。)だから本当はエディの気持ちでは口にしたかったはずのキスもほっぺただったんだと思う。(ほっぺたにするキスは、好意や友情のキスです。だそうです。)この解釈にたどり着いてからリンダとエディが会うシーンがものすごく切なくて、エディが可哀想で毎回泣きました。

そして、最後のシーン。なんとなくエディは自分の最後を悟ってる気がします。ジョンストン夫人が『ふたりは双子だ』と言った時きっとミッキーもエディもお互いに「こいつになれたかもしれないのに」という気持ちがあったのかなと思う。エディはさらに、実の母親にも育ての母親にも嘘を吐かれていたことへの絶望があるようにも思う。


ここまでエディをまとめたけど、私の解釈だしあってるあってないはわかりません。でも、エディはとても兄弟思いで、リンダ思いで、家族思いで、心優しい若者だったんだろうなと思います。わたしの担当は神ちゃんなのでやっぱり表情とか全身の動かし方だとか声色だとか、そういうのは無意識にエディを見ちゃうしエディの気持ちを読もうとしてしまって、すごくエディ贔屓な物語の観方をしてしまったなと思う。解釈は人それぞれだと思うし、わたしはわたしの解釈でしか舞台を観てないからこれ以上の観方はできなかったと思うし、今の私ができる一番納得のいく解釈はこれでした。


たくさん書いたけど、本当に素敵な舞台だった。これにつきます。マルシアさんも言ってたけど、是非とも再演して欲しい。また、エディを生きる神ちゃんを観たいから。また、あのカンパニーの中で幸せそうにしている神ちゃんを観たいから。その日を願いっています。


エディ、ありがとう。さようなら。f:id:hm835:20150316234443j:plain