私と神ちゃん。

デビューして7ヶ月、一万字も神ちゃんだったしと言うことで、神ちゃんを応援し始めてからこれまでをまとめようかな、と。自分のメモというか、忘れそうな初心に返るためのものなので、「なんか言ってるよ〜」くらいに流してくれたらと思います。(じゃあ始めから公開するなよ)








神ちゃんのことをハッキリと認識したのは2012年の2月でした。この頃、妹が流星くんにダダハマりしていて、くる日もくる日も、きみまぼとdial upと2010の少年たちを見せられて、当時、別の人を担当をしていたわたしは、正直飽き飽きしていました。そんなある日、いつもきいてるはずのdial upのはじめのフェイクがすごくすごくすごくシビレたのです。
「え!なに!今の誰!どの子!凄い!」と、妹にけしかけたのをとても鮮明に思い出せます。そこで初めて「神山智洋」を意識し始めました。そこから落ちて行くのは早かったですよ。でも、担当にするということにはちょっと抵抗があって、担降りをするということにとても抵抗があったのですね。ジュニア情報局に入ろうと用紙を書いている時、「好きなジュニア」のところで手が止まりました。『わたしは神ちゃんのことが、好きなのかな?応援したいのかな?』この時、はじめて神ちゃんを応援すると言うことを考えました。結局その日は名前を書くことができず、その次の日もそのまた次の日も書くことはできませんでした。4日目にようやく「神山智洋」と書くことができました。この時、『わたしは!神ちゃんが!好きなのよ!そう!すきなの!』と思うことができました。それが確か、3月の初めの話です。それからだんだんと私の中で神ちゃんの存在が大きくなってきたのが自分でもわかりました。だから、掛け持ちをしようと、思いました。でも、浅はかでした。私の性格上、掛け持ちなんて到底無理だったのです。掛け持ちを決意した次の週、2012年3月21日。ついに、神山担を名乗り始めるようになりました。


神ちゃんがステージに立つ姿をホンモノの神ちゃんを初めて見たのは滝沢歌舞伎のファミリー公演でした。赤影様を見れなかったのは残念だったけど、滝沢歌舞伎の舞台に立つ神ちゃんをほんの一部でも見れたことは、よかったなと、今は思います。なんだかよく分からず、神ちゃんがとてもとてもキラキラしていて、ただひたすら感動したことは覚えています。ギラギラしててカッコよかった。
あっ、その前に寮フェスがあったですね。寮フェスを梅田ブルクまでわざわざ遠征して観に行ったのです(観に行った後に地元で公開されることが決まりました)。遠山先輩がとてもカッコよくて、わざわざ来た甲斐があったなって満足して帰ることができました。この時もギラギラしててカッコよかった。

ここから夏の松竹座までに、いろんなことがありました。慎平とがっきーがいなくなっちゃったこと、7WESTで神ちゃんだけファンミに呼ばれなかったこと、神ちゃんはしげちゃんと真ん中にいるのが正解だと勝手に思ってたわたしは、その状況がうまく飲み込めず、落ち込んだりしてた気がします。そして、夏の松竹座。少年たち。わたしは神ちゃんと照史のrivalをとてもとても楽しみにしていました。だってDVDで見たrivalがとてもとてもカッコよかったんですもの。でも、実際は小瀧と照史でした。役柄もなんだかちょっと今までより下がってるような気がしたりしました。
今のジャニーズWESTで上がった日生の舞台。この時も神ちゃんの役柄がパッとしないような気はしたけれど、このステージに立てることが凄いことだと思って、考えないようにしてました。日生って9月だから、わたしの誕生日とかぶるんですよ。だから、自分の誕生日に神ちゃんの演技が見られることがとても嬉しくて、ルンルンだったんですよね。でも、その時に、神ちゃんの熱いものを見て、触れて、今までの応援ではダメだなってこれまでの自分を恥じました。それが、このわたしの拗らせ思考の始まりだったのですが。

オリックスとか色々ありましたけど、私がとても衝撃だったのは、太秦に神ちゃんが選ばれなかったこと。10月に目撃情報が無かったから何と無く覚悟はしてたのですけど、いざ、本当にそうなると、メンタルやられるやつでしたね。2012年12月24日。たぶん私が経験した中でもっとも最悪なクリスマスイブ。その場には居なかったから見てもないし、レポをただ家で見てるだけだったけど、泣いていたとかいなかったとか、バク宙失敗してステージから落ちたとか、もう、パンク寸前というか、パンクしました。だってそういえばあの時、元旦にも選ばれなかったんだもん。神ちゃんが、何をしたの?なんで神ちゃんはダメなの?ってずっと泣いてて、妹に慰められた気がします。それでも、カウコンにも出て、元旦にも結局いて、ちょっとだけホッとしてる自分がいました。だけど、その当時の友達と合言葉のように「来年こそは笑って年を越そうね」と言ってお互いを励ましていました。

あけおめも、春の松竹座もだんだんと舞台を重ねるごとに神ちゃんが舞台の後ろへ後ろへ下がっていくのが、出番が減っていくのがわかるようになりました。そんな中、全国ツアーがありました。この時、わたしは神ちゃんのソロがあるといいな〜と呑気なことを考えていました。初日だったからセトリを知らなかったからです。でも、蓋を開けてみたら、負けへんで→RFY→dial upだったかな?あれ?神ちゃんは?神ちゃんのソロは?しげ、ツインときたら神ちゃんじゃないの?と、そればっかりが頭を駆け巡り、その後のことをあんまり覚えていません。この頃から、「神ちゃんはこのお仕事をしてて楽しいのだろうか?幸せなのだろうか?」と考えるようになりました。私が考えたところで何も変わりませんけどね。

そんな中、忘れられない徳島公演がやってきました。神ちゃんの誕生日前日。一部では特に何もなく、二部の前にもぎりの場所で黄色の紙を渡されました。そこには「神ちゃんお誕生日おめでとう」の文字がありました。とてもとても嬉しくてロビーでお友達とわんわん子供のように泣きました。神ちゃんは幸せだね、世界一の幸せ者だねと、ふたりともしきりに言っていたのを覚えています。
わたしは、シルエットという曲がとても大好きなのですが、神ちゃんのサプライズもシルエットでした。後ろの画面に紙をあげるタイミングが指示されていたので画面を見ないように、大ちゃんだったかな?神ちゃんに話しかけたり、メンバーが口々に「みんなわかってるやろ?」とかニヤニヤしてたりとか、なんて幸せな空気なんだろうって、思いました。シルエットがはじまると神ちゃんはいつも決まって優しい顔で客席を見渡します。この時もそうでした。自然と手拍子がはじまって、その手拍子にはじめは驚いていたけど、神ちゃんがとても嬉しそうな顔をしていたように見えたのを覚えています。黄色の海を見た神ちゃんの泣き顔と、神ちゃんの泣き顔を見たメンバーの笑顔は一生忘れられません。

照史が神ちゃんに聞きました。
「神ちゃん、今幸せ?」
神ちゃんは、ハッキリと笑顔で言いました。
「うん!幸せ!」
この時、何と無く、大丈夫だと思いました。この人ならこのメンバーとなら、夢を叶えられる、と。お仕事を続けられると。


ツアーを終えたあたりから、神ちゃんに少し自信が出てきたように思いました。それまで、「付いてきてください」とか、そう言う直接的な表現をしてこなかった人が突然「付いてきてください」「期待しててください」と言い始めたからです。それに、久しぶりにキラキラギラギラした神ちゃんに戻ったように思いました。


でも、anotherは私にとって違和感の塊となりました。役柄もパッとしない、出番もどんどんカットされる、それまでにも、周りのメンバーは個人仕事だったり映画やドラマやバラエティーやどんどん仕事が決まっていって、神ちゃんはと言うと、「ビーズ細工にはまってんねん」な日々で。わたしの中にも焦りというか、不安というかとてもあったのだと思います。だって、「ハタチになってもデビューできなかったら辞める」って言ってたから。私自身も、そろそろ現実を見てちゃんと安定した仕事に就いた方が家族のためにも自分のためにもなるのに…とか、余計なことを考えたりしていました。この頃のわたしは、神ちゃんには個人仕事が全くないことをとても気にしていて、なのに神ちゃんは、気にしているんだろうけど何も変わろうとせず、「そんなんじゃダメじゃん!」と教育ママみたいなことを思ったりしていました。そんな矢先に、流星くんの全国区の連続ドラマ出演が決まって、私は完全にその流星くんのキラキラギラギラ加減にやられてしまいました。松竹座の千秋楽の日にわたしは神ちゃんを応援するのをやめようと、本気で思いました。初めて思いました。でも、日生では変わると信じていました。確かに日生では変わっていました。でもやっぱり、何かが神ちゃんに足りません。キラキラギラギラしていない。キラキラはしてるけど覇気がない。ギラギラしていない。もう、ギラギラな神ちゃんは見れないのかなと、落ち込んでいました。
わたしが今でも時々思い出して、凄く悲しくなるのですが、はまちゃんと流星くん以外で日生劇場の客席で撮影されたWeb動画のロングバージョン。神ちゃんだけ目立った仕事がなく、はじめは笑顔だったのが映るたびに表情が曇り、OFFの顔というか…見たこともないような顔になっていました。やっと神ちゃんの番になった時、クリパの宣伝だったのですが、小瀧がちょっとふざけてちゃちゃをいれました。神ちゃんはやっときた自分のチャンスを邪魔されたのが嫌だったのか小瀧のちゃちゃに対してとてもとても怖い顔をしていました。わたしにはそう見えました。この時わたしは、「仕事がないのは自分のせいなんだから、小瀧にちゃちゃ入れられたくらい気にしてたらだめじゃん!そんなの神ちゃんじゃないよ!」とちょっと…だいぶ失望しました。
タイミングというのは時に残酷です。ミスパイロットの流星くんがとてもとてもギラギラしていて、羨ましい思いが溢れすぎて、勘違いをしました。わたしは流星くんの方が好きなのだと。勘違いをしました。誰にも何も言ってないだけで、完全に流星くんの応援をしていました。そんなある日、わたしは遂に、流星くんの応援をしますと、宣言しようと決めました。でも、これまた、タイミングというのは残酷で、sharkが決まりました。私の大好きだったギラギラした神ちゃんが帰ってきました。本当に嬉しかった。これでやっと、これで、やっと、今年こそは笑って年を越せると、心から疑うことなく思ってた。

G公演。今まで見てきた中で一番最高のコンサートだったと私は思う。今でもG公演を超えるコンサートにまだ出会えていない。私たちの「見たい」とりゅかみはまの「見せたい」が同じだったからかなって最近になって思うようになりました。神ちゃんのソロが二曲目聴けるなんて。幸せすぎて感情を無くしたのはたぶんこれが最初まで最後だと思う。本当に楽しかったし、本当に幸せだった。神ちゃんなら、夢をつかめる、そんな気がしてた。


でも、それからたった10日でそんな思いも砕ける事になってしまった。オープニングの時点で神ちゃんの、りゅかみはまの姿がなくて、胸騒ぎがして、「終わった…」と思った。でも、わけがわからなくて、受け入れたくなくて、どこかで出てくるかもしれないって思ってた。「わたしの一生分の幸せと楽しいを引き換えにしてもいいから神ちゃんを幸せにしてください」と、初詣でお願いした。

あけおめで、神ちゃんは、おかしかった。明らかに、いつもの神ちゃんではなかった。無理をして、「俺はここにおるよ、辞めんよ」って伝えてるみたいだった。だから私は余計に悲しかった。そんなことしなくても、みんなわかってるよって、神ちゃんが強いことくらいわかってるよって。ソロもあって、なんでそれだったのかわからないけど、Shelter。フード被ってるから、誰だかわかんなくて、フード除けた瞬間、会場がざわめいて、「え?!神ちゃん?!」ってなってて、誇らしかった。「神ちゃんかっこいいでしょ?いつもだけどね?」って心の中で思ってた。

「君がいなければ 俺の世界なんか 粉々に砕け散るよ」

ファンが居てくれなければ何もできないってことなんだろうなって思った。私が勝手に思ってるだけだけど、神ちゃんは無意味なことはしない人だと思ってるから、発する言葉の一つ一つに神ちゃんなりの思いがあって、いつも何かを伝えてくれてるんだと思うんですよ。(だから私は毎回それを探しながらコンサートや舞台を見たりするのだけど)神ちゃんがそう思ってるのであれば、この先どうなるかわからないけど、支えなければ、最後の最後まで見届けなければいけないような気がした。

わたしは、なにわ侍にりゅかみはまが出るかもしれないとなった時、とても嫌だった。だってどう考えたって4+3になるから。今まで一列だった人たちが二列になることが嫌だったし、そんな神ちゃんを見るがもう嫌だったから。それにデビューできるってわけでもないのになんで出ないといけないのって思ってた。諦めてたんですよね。きっと。でも、そうじゃなかった。わたしは2月5日を一生忘れません。報われた。そう思った。わたしの、みんなの思いも、神ちゃんの夢も、みんなの夢も。報われた。これでやっと神ちゃんがお母さんを楽させてあげられるし、神ちゃんのやりたいことがやりやすくなる。それがとても嬉しくて、嬉しくて嬉しくて。大切にしないといけない日だと思った。



ここまで、ダラダラと色々なことをぶつぶつ言ってきました。結果として、わたしは、神ちゃんのことを好きになれて応援できて、とてもとてもとてもとてもとてもとても幸せです。神山担は世界一の幸せものだと思います。約束は絶対に守ってくれるし、絶対的なパフォーマンスをしてくれるし、気持ちを言葉にしてくれるし、でも、アイドルとして隠し通さなければならない部分はしっかりとわかってて、ファンの思う(ここで言うファンは神山担のことだけど)神ちゃんの像を守ってくれる。こんな最高な担当にわたしは出会ってしまって、まんまとハマってしまって、最高に幸せです。神ちゃん以上も以下もいません。これからも、ずっとずっと神ちゃんがBIGでVIPでTOPになるまで見守っていたいなって思います。



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最後に、こんな、一個人の思いをダラダラぶつぶつ書いた文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。